安芸郡府中町にある「多家神社」

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今回は広島県安芸郡府中町に「多家神社」の紹介です。

ちょっと階段が急で、子供だけでは少し怖いかも。

手水舎(てみずしゃ)

ここも本当に気持ちのいい空間です。

この多家(たけ)神社(別名 埃宮(えのみや))

神武天皇が日本を平定するため、お立ち寄りになったと伝わってます。
古事記では、阿岐国(安芸国)《あきのくに》の多祁理宮(たけりのみや)
に神倭伊波礼毘古命《初代神武天皇》(かむやまといわれびこのみこと)が
七年いたといわれます。日本書紀には埃宮(えのみや)に坐すと記して
あります。

安芸国の名神大社三社の1つとして多家神社の名が記され、
伊都岐島神社《厳島神社》(いつきしまじんじゃ)、
速谷神社とともに全国屈指の大社とあがめられたとあります。

厳島神社は皆さんもご存じ、宮島にある平清盛が再建した神社です。

厳島神社

速谷神社は、車のお祓い神社として広島では有名です。

速谷神社

すげ~神社が近くにあったんだ~と。
ここの神社は、職人時代よく昼休憩にベンチで休ませて頂いてました。

広島県の指定重要文化財に指定されいる建物が

この宝倉。

通常は三角の木を組んで周囲の壁を形成するのですが、
この宝蔵は不等辺六角形の木を組んだ珍しいもので、
あまり例を見ないそうで、日本に現存するものでは
当宝蔵だけみたいです。

御神札・御守授与所
ここにこんなのが有ります。

神武天皇には「八咫烏(やたがらす)」と「金鵄(きんし)」は
セットで登場しますね。

八咫烏(やたがらす)

八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話に登場するカラス(烏)
であり導きの神。神武東征の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって
神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる。
一般的に三本足の姿で知られ、古くよりその姿絵が伝わっている。

金鵄(きんし)

金鵄(きんし)は、『日本書紀』に登場し、
神武天皇による日本建国を導いた金色の鵄。
日本書紀の記述では、東征を進める彦火火出見(後の神武天皇)
が長髄彦と戦っている際に、金色の霊鵄が天皇の弓に止まると、
その体から発する光で長髄彦の軍兵たちの目がくらみ、
東征軍が勝利することができたとされる。
この霊鵄を指して「金鵄」と呼ぶ。

ウィキペディア(Wikipedia)より

調べると色々なことが分ります。

この位置から広島市内が見えます。
景色は全く違いますが、神武天皇もここに居られたと思うと
不思議な感じがします。

こんな身近な所に、初代神武天皇にまつわる神社があるなんて
知りもしませんでした。

とてもいい所なので、広島に来られた際は是非お立ち寄り下さい。

広島県安芸郡「多家神社」

 

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