広島東洋カープの大投手「北別府 学」

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ちょっとショックなニュースが報じられてました。

 

広島東洋カープ黄金期にエースとして活躍した背番号「20」

北別府 学氏が16日、広島市内の病院で亡くなったそうです。(65歳)

 

2020年に成人T細胞白血病(ATL)を公表されて、息子さんの骨髄を移植する手術も受けていたそうです。

1976年宮崎の都城農高からドラ1でカープに入団。
78年から11年連続で2桁勝利をマーク。5度のリーグ優勝と3度の日本一の立役者でした。

94年に引退され、515試合に登板 213勝141敗5セーブ
94年に広島県民栄誉賞を受賞し、2012年には野球殿堂入りもしました。

 

私は小学校3年生から、町内会のソフトボールチームに入り、毎日野球漬け。
中学は途中断念をしましたが、高校は3年間硬式野球に携わりました。
私が行った高校は新設校で一期生、私が硬式野球部の立ち上げ、初代主将もさせていただき、今ではいい思い出です。

もちろんプロ野球もカープファンで、家族で野球中継を見ていました。
北別府さんが投げるときは「今日は大丈夫じゃろ~」と、試合前から半分勝利を確信してる感覚でした。

北別府さんの投球は「精密機械」と評価されていて、とてもコントロールの良いピッチャー。
特に速い球を投げるのではなく、丁寧に際どいストライクゾーンにコントロールして投げる。
登板して負けたら「北別府が投げて負けるんじゃけぇ、しょうがないよの~」と、
みんなが言ってたくらい。

今の野球は、投げる球の速度が注目されてますが、北別府さんみたいなコントロール重視のピッチャーは
もう出てこないでしょうね。

 

ご冥福をお祈り申し上げます。

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